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研究室の歴史

1.創成期(名古屋大学農学部30年史より、並木満夫執筆)

 農学部3号棟、旧安城青年師範学校の校舎であったこの木造平屋の一部に、生物化学・土壌学教室と並んで「農産製造学教室」と書かれた札が掲げられたのは昭和28年4月であった。この春には農学部一回生が3年生として安城に進学して来た。彼等が覗いた研究室には実験台と机一つしかなく、ガランとした中で一人の青年が黙々と勉強していた。最初の技官として着任した田中博助手である。5月には田村梯一教授が着任されたのを初め青木博夫助手、宗像桂助教授、小川茂技官らが順次発令着任し、9月9日にはスタッフも全員が揃った。本講座の正式の名称は農芸化学第2講座:農産物利用学及び農薬化学であるが、われわれは農産製造学教室と呼んでいた。実験器具の荷を解き、棚を作って部屋を整備するとともに、麦赤サビ病の色素、二化メイ虫誘引物質、除虫菊の樹脂など天然物化学や農薬化学の研究がスタートした。

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 一方10月からは農産製造学、農薬化学、有機製造学の講義が始まったが、教授の早口とプリントの多いのは有名であった。学生実験も12月から始まり、担当期間が3カ月近くあって学生と教官は非常に親しくなった。29年1月にはミクロ分析室が開設され、教授夫人の指導で宮田嬢が担当した。この頃はとくに研究室間も、教職員とその家族および学生間も壁のない付合だった。また辺りは田園風景で雲雀の声に誘われて全員でサイクリングしたり、小川で手把みした鮒の魚拓が長く教室に飾られていたりしたのも楽しい想い出である。30年には久山眞平氏がメンバーとして加わった。当時の講座費は60万程度で消耗品費にも不足で、各研究室とも教授以下の努力で研究費を獲得して新しい機器の整備に努めた。33年には当時珍しい米国製のガスクロが、次いで自動式UV、IRが入った時は思わず歓声をあげたものである。30年4月には大学院が創設されて、一回生の川岸舜朗君が進学して以来多くの院生を迎え、研究室もますます活発になり夜遅くまで研究が続けられた。37年には輝かしい業績を基に宗像助教授が教授に昇任されるとともに農薬化学を分離独立された。このように農学部も整備される一方、研究上の不便さから名古屋東山キャンパスへの移転を希望する気運が強くなってきた。ところが不幸にも39年2月には創設以来苦労を重ねられた田村教授が肺ガンのため不帰の客となられた。その後40年4月に理研から並木満夫教授を迎え、次いで41年3月には川岸氏が静大より助手として転任されて、青木助教授と主に新しい体制がスタートした。41年4月には、東山の新建物の6階東に移転した。移転完了とともに予てからの学科拡充計画の実が結んで、43年4月に食品工業化学科が創設されたのに伴って、本教室は食品製造化学第1講座として移った。以来、従来の天然物化学に加えて食品化学の研究が推進され、放射線利用などの新しい保護学の基礎として、糖や核酸など生体・食品成分の放射線化学から始まって、光化学や酸化反応さらに新しい食品成分間反応等、一連の研究や香味成分の化学等の研究が発展した。その成果は国内外の学会で広く認められつつあり、教室には各種の最新鋭機器も整備されてきた。スタッフも田中助手が農林水産省畜産試験場へ、青木助教授が名城大学教授に、そして川岸助教授、林建樹助手、さらに大沢俊彦助手を加え現在に至っている。研究活動の間には研究室一同で秋の旅行をする他夏山・スキー等にも出掛けたり、室は和やかな空気で尋ねる卒業生も多い。この30年間本教室の卒業生は院生を含め147名に達し、食品関係を主とする会社関係に100名、数名の大学教授・助教授を含む教職員20名、公務員関係13名、その他の各方面で大活躍をしていることは誠に同慶の至りである。

2.隆盛期(名古屋大学農学部50年史より、大澤俊彦執筆)

 食品工業化学科創設に伴い、食品機能化学研究室の前身、食品製造化学第一講座が創設されたのは、農学部の安城のキャンパスから東山キャンパスへの移転が行われた昭和43年であった。その後、農学部の改組が平成5年4月に行われ、それまでの食品工業化学科、食品製造化学第一講座から応用生物学科・食品機能化学講座へと名称が変わったのである。食品製造化学第一講座時代は食品化学の研究が中心で、当時の並木満夫教授(現名誉教授)を中心に、放射線利用などの新しい保蔵学の基礎として、糖や核酸など生体・食品成分の放射線化学から始まって、光化学や酸化反応、さらに新しい食品成分間反応など、一連の研究や香味成分の化学などの研究が進められた。農学部の改組の際に食品機能化学講座という名称を用いることにしたが、これは単なる名称変更ではなく、われわれの研究室での研究方向の大きな変化を伴ってきた。すなわち、食品製造化学第一講座での「化学」を中心とする研究から「食品の機能性」研究へと大きく変革していったのである。
 「食品機能化学講座」発足当時の研究室の体制は、当時の教授でおられた川岸舜朗名誉教授(現在椙山女学園大学教授)を中心に、助教授として筆者(大澤俊彦)、助手として中山勉博士(現在静岡県立大学教授)と内田浩二博士(現在名古屋大学助教授)を中心に研究が進められた。平成7年に川岸教授が退官された後、筆者が教授に昇任し「食品機能化学講座」を担当することになり、内田博士が助教授に昇任した。また、中山勉助手の静岡県立大学助教授への昇任に伴っての助手のポストに静岡県立大学の助手をしていた森光康次郎博士が就任し、ようやく、全教官がそろっての船出となったのである。その後、大学院重点化に伴い「生命農学研究科」がスタートし、平成11年の応用分子生命科学専攻が発足した際に「生命機能化学大講座」の「食品機能化学研究分野」として再編成されたのである。
 現在の「食品機能化学研究分野」は、大学院生命農学研究科における食品科学(Food Science)の教育を担当し、食品と生命機能との関わり、特に食品と密接に関連した様々な生活習慣病誘発の分子メカニズムの解明、およびその予防を目指した基盤的研究を展開している。具体的には、食品素材に含まれる生活習慣病予防活性を持つ生理活性物質の探索に関する天然物有機化学的研究を行うとともに、実験動物モデルを用いた機能性食品素材成分の体内動態、および遺伝子の酸化的修飾などを指標にした生活習慣病予防活性の分子機構解明に関する研究を行っている。また、酸化ストレスに関する研究では、生体成分の酸化的修飾の化学的解析を行うとともに、酸化生成物をプローブとして特異的モノクローナル抗体の作製から、細胞生物学的研究への応用、さらには微量検出系の確立などに関する研究を行っている。このほか、食品成分あるいは内在性低分子化合物の細胞に及ぼす影響についての生化学・分子生物学的研究を行っており、特に解毒酵素などの生体防御酵素の遺伝子発現に至る分子機構の解析研究を進めている。
 以上の紹介のように、我々の研究分野は、「有機化学」や「生化学」を中心に「栄養学」 や「遺伝学」、「免疫化学」や「分子生物学」、さらには、医学の分野での「病理学」や「薬理学」などの広い範囲に広がってきている。実際に、我々の研究室の英文名を”Laboratory of Food and Biodynamics”にしており、従来の「食品化学」からの脱皮を行い、さらなる「食の機能性」の未来の発展に向けて日夜研究と教育に専念している。

3.新生食品機能化学研究分野(内田浩二執筆)

 平成11年に森光康次郎助手のお茶の水女子大学助教授(現・准教授)への転出に伴い、後任として中村宜督が助手に着任した。また、平成17年中村宜督助手の岡山大学農学部准教授への転出に伴い、本研究室出身の柴田貴広が助教に採用された。そして平成22年3月には大澤俊彦教授の定年退職に伴い、4月より内田浩二准教授が教授に昇格し、現在に至っている。平成22年4月から始まった新体制では、さらに高度な技術導入により、「食と健康」に関する研究を幅広く展開しており、化学を基盤として生命現象にアプローチする、いわゆるケミカルバイオロジーに集約されつつある。

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